「にもかかわらず」を生きる|受講者の声|エンパワーメントの実践は行動科学研究所

受講者の声

「にもかかわらず」を生きる

「にもかかわらず」を生きる 広視野な食育を目指す焼肉店「きたやま南山」経営者に聞く

受講生:楠本 貞愛さん (代表取締役)
インタビュアー:岩田 洋治

―どういうところに興味をもたれてPEPを始められたのでしょう?

まず最初の驚きが2014年5月、散歩中に再会した静治先生の姿でした。

そのとき、私自身、切実に変わりたいという想いがありました。物事がうまくいかない中で、自分が変わらなきゃって頭で思っていても、なんで私が変わらなあかんねん、こんなに一生懸命やっているのに、っていうのがありますよね。特に子供の問題とかで悩んでいる時に、親が変わらなきゃっていうのは千度言われるんですけど、認めたくないというか。「逆に支えて欲しいんや」っていう気持ちで。もうどう変わったらいいのかがわからなかった時に、静治先生の変わり様がびっくりだったんです。

静治先生は私の父とどっこいどっこいくらい派手で、激しい、炸裂するような人。私の父は変わらなかったけれども、静治先生は「申し訳ないけど、おもろーてしゃあないねん!」って庭でパンを焼いてらっしゃるっていうのが、びっくりだったんです。

あれだけのエネルギーをどう昇華させて変わられたのか、そこにまず圧倒されました。

私は、どうして私ばかりが・・・と、とことん行き詰まっていましたが、母の車椅子を押しながら散歩中、奇跡的にここにたどり着いたというか。

子育てにおいても、いい学校にも行かせてみた、いい人にも会わせてみた、親のない子には家庭を与えてみた、仕事も与えてみた、でもそれだけでは全然足りない。何が本当に子供に与えてやれるのか、生きる原動力になるものなのかって考えたときに、わからなかったんです。それがここ(PEP)にあるのかなって思って。

本当にぎりぎりいっぱいでした。静治先生に、私は「まず呼吸するところから」と言われました。まだできないんですよ、呼吸が。意識的にしないと。そこから教えていただいて。

「私のどこがあかんのや」って思うところが、それは元型で、誰もが持っているもので・・・ということを教えていただいて、元型というものがわかるようになると、許す力も、変わる力も与えられるのかなっていうふうに思いました。

私はこれまで、人の顔色を見て、人が幸せになるためにと走り回っていたのですが、人の顔色ではなくて、本当に何が問われているのか、本当に何がテロスなのか、どうすれば子供たちから見て美しい生き方だと言ってもらえるような道なのかということが、今は、本当に少しずつ見えるようになってきているかなと思います。

この間洋治先生に教えていただいた「大切にする」っていうあり方も極めていきたいなと思っています。ひとつひとつの物事とか、人間とか、どう大切にするか。よかれと思って尽くした事が裏目に出るのは、相手の力を引き出すのではなく、相手の役割を横取りしてしまう事でもあったわけで、「何が相手を大切にするということか」は、そう簡単なことではないのだと学び、エネルギーを頂きたいと思ってここに来ています。

こんなことが変わってきたなと思うところは何かありますか?
以前はとにかく不安で不安でたまらなくて、当てずっぽうでがむしゃらにやっていました。でも今は、ドキドキはしても着実に進める勇気っていうか、いろんなことが起こっても、そんなもんだって思える、物の見方ができたかなと思います。

静治先生に教えてもらった「『にもかかわらず』をどんだけやるか」っていうことだと思います。「にもかかわらずやるのか、やらないか」を試されている。だから起こってくる出来事に、落ち着いて対応できるというか。それをひとつのシグナルとして、どう「本当にやりたい事、やらねばならない事」を読み解くかっていう。よくぞここまで、というような出来事も、意味のあることとして落ち着いて受け止めることができるようになったかなって思うんです。

不安というのは、自分がつくりだした幻であるということ、「誰もあんたに苦しんでもらいたいと思っている人はいない」って教えていただいたことにも納得しました。

一番下の子が高校生ですから、ちょうど子供が巣立つ時期で、本当だったら空の巣症候群になるところを、私自身の自立っていうものも問われているんだろうなと思います。これはよく考えておかないと、さみしい人生になるのか、これから新しい人生になるのかという分岐点で、すごくいい勉強をさせていただけてるなって思います。

貞愛さんの周りを見たときに、何か変化はありますか?

みんな本当に変わってきた。私が変わったから。それはすごいものがあるなと思います。

それは一緒に仕事をしてる仲間であったり、取引先であったり、子供たちであったり。

やっぱり私自身がぐらついてたから、すごく周りを不安にさせてた。私自身が安心できる相手になり得てなかったのが、今は地に足がついて本気度を感じてもらえるようになったからか、周りが変わった。私が呼吸をしだしただけで。

私が相手の顔色を見て軸足がぶれている時には、誰もが不安定でした。でも顔色を見るんではなくて、物事のテロス(そこに問われる意義)を見ようとするようになってからは、誰もが自分の足で立ってくれるようになったっていう気がするんです。私も社員や仲間や子供達にそれを伝えたい。本当に一人ひとりの自立を願うっていう。一人ひとりに、自分の生まれた意義と生きるための場を与えようっていう仕事の仕方になったんですね。労使の関係、駆け引きの関係ではない、お互いの役割をお互いに生きる仲間としてのいい関係ができだしたんじゃないかなあって思うんですよね、支配と依存ではなく。

私自身の役割を掘り起こしていきだせば、それぞれがそれぞれの役割を生きだしてくれて、そこで繋がるっていうふうなチームになりつつあるのかもしれません。それはすごく幸せなことです。

―どんな時でも、目の前には常に問題ってあるじゃないですか。それは何か間違っているわけじゃなくて、人間が生きるっていうのはそういうことかなと思うんですけど。今までの変化を振り返ってみると、そこにはひとつの流れが生まれつつあると思うんですけど、貞愛さんはどういう流れだと思われますか?
4月から子供たちがみんな出て行って、私は母の先の見えない介護をはじめたんですよね。さあこれからどうなるんだろうっていうところで、静治先生に出会いました。

6人の子供たちのうち、とても生きづらさを抱えた子もいて、この世の中をどう生きさせるか。世界には同じように苦しんでいる子供たちも見える。力をもって生きようとしている子供も、学校や社会の仕組みの中で幻滅を抱えていて、本来の理想的な生き方を妥協しなければならない現実がある。親として次の世代の環境を整えてあげたいっていう強い欲求と、年寄りが老後を迎えて、身体が動かなくなっても意欲をもって生きられる環境が作れるのかっていう課題と、企業としてどんな企業になっていけば本当に必要とされる場ができるのか―それだけの課題を抱えてつぶれそうになっていたんです。自分に何ができるのかって。

そんな矢先に、農水省の予算で大きなプロジェクトに取り組めるっていうチャンスが訪れたんですが、それによって私はつぶれるかもしれないっていう恐怖もあって。

課題は見えてる、理想もある、チャンスも来た、でも私の行動は常に今まで裏目に出てきた。その時にPEPを受けることで、「にもかかわらずやる」ものを選別できた。やる意義がみつけられたんです。雑音に振り回されなくなった。それは大きかったです。

問われていることに対して、本気で答えていこうという態度を修練することはできたんじゃないかと。そこで怖がらずに向き合えた。そうするとすべてが凄まじい勢いで動き始めました。私が思いもしていなかったプラスのエネルギーに私自身も巻き込まれているって感じがします。恐れを感じるくらいで(笑)。

闇と光、どちらも怖がらずに見れるようになったのかなって気がしますね。

でもあまりにも大きなエネルギーで動いているので、問題も大きなものが降りかかってきますが(笑)。

(編集:岩田 夕紀)

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