子育てのパートナー

コラム

子育てのパートナー

4人の子育ての偉大なサポーター 理想は野生の子育て

By 岩田尚子

子育てのパートナー

国立大学の二次試験の二日目
4人兄弟の末っ子、長男総決算の勝負の日
その頑張りと努力をみてきた親心としては、神に祈る気持ちで1日を過ごすのでしょうが、
私にとってはチビの最後の時が近づいている事に、食事も喉が通らない1日になりました。
チビは約13年ほど前に、子供達が拾ってきた猫です。
琵琶湖の浜で、小鮎を採ろうと水際で格闘していた子猫を子供達が見つけました。
お腹が空いていたのでしょう、代わりに子供達が小鮎を掴んでやり、それをあげたところ、ガツガツと生の魚を食べたそうで、
そのままうちに連れて帰ってきました。
親としては、猫を飼うのは大反対。私も夫も猫を飼った事はありません。
お父さんは猫アレルギーがあるから、うちでは飼えない、他に飼い主を探して、見つかるまでの間世話をして良い、となりました。
2週間ほどしても飼い主が見つからず、というか真剣に募集しなかったのかも知れません。
気がつけば、あれほど昔はひどかったという夫の猫アレルギーが、不思議と発症せず、、
案の定、私もチビが可愛くなり、そのままうちの子になりました。
名前も仮の名前の適当な名付け、「チビ」をそのまま使いました。
それから13年。
最近、目の病気を患って病院にかかっていたのですが、たった二日前までは普通にしていたチビが、急に餌も水も取らなくなり、ひどく弱ってしまったのです。
死に場所に行くように、普段は行くことがないデッキの下に隠れているのを、次女の勘で探し当てた夜があり、次の朝も、ふらふらの足取りで、必死に私たちから逃れるように、外の薪置き場やデッキの下に場所を探して彷徨うのです。
抱き上げても拒絶するチビ。
見ていられませんでした。
でも人を見れば、目が合えば、さらに逃れるように、よろよろと行ってしまう。
見てはいけない。
私たちは姿を隠すほかありません。チビの行き先を家の中から確認しました。
雨が降っていました。
動物に関しては人一倍シンパシーのある三女は
チビの本来の死に方を絶対に邪魔してはいけないと、
泣きながら、振り切って学校に行きました。
私はしばらくして、動かなくなっているチビの姿をカーテン越しに、デッキの下で見つけました。
力尽きてそこで倒れたような姿でした。
雨が降っているので、デッキの床から雨が沁みて、チビの体を濡らしています。
このまま死なせるのはあんまりだと。
チビは嫌がるかも知れないけれど、
夫と二人で死んでしまったかも知れないチビを、ダンボールに入れて家に連れて入りました。
冷たく硬直したチビの体でしたが、まだ微かに息をしていました。
体を拭いて撫でていると、
諦めなたくない、やっぱり出来るだけの事をしてやりたい気持ちでいっぱいになりました。
チビの猫としての命の答えに反するかも知れないけれど、
この子は野良猫でない、
うちの家族だから。
間に合うかどうか、急いで病院に走りました。
とにかく点滴でも何でもしてもらえれば。
先生の診察は、低体温症もあり、もう瞳孔も反応していない、
いますぐ息を引き取ってもおかしくない、あと数時間とのことでした。
「呼吸は苦しんでいませんよ、お役に立てなくてすみません。人知れず死んで行くよりは、家族に見守られて亡くなる方が猫も喜ぶと思います。」
あとは出来る限りそばにいてやろう。
その日は二つの予定がありましたが、キャンセルさせてもらい、伊丹で仕事をしている長女にも「チビが旅立つので最後に会いに来るように」と連絡をしました。
帰宅したワンゲル部の次女が低体温症の処置を見事にやってくれ、みるみるとチビの体の状態が回復して、見慣れたチビの寝姿になっていきました。呼吸は乱れて、息絶え絶えなものの、撫でたり、声をかけていると、まるで分かっているように反応がありました。
長女も帰宅しました。職場で事情を話すと休みをくれたそうです。
受験を終えた長男が帰宅、
夕飯時には三女も帰宅、
皆、息をしているチビに対面出来ました。
三女はチビを抱いたまま離しません。
ストローで水を飲ませたり、兄弟4人はチビを囲んで最後の看取りの世話が出来ました。
いよいよ痙攣や癲癇の症状が起こり、
その後、静かに静かに、息を引き取ったのが本当に今なのか?と思えるほど、三女の腕の中で安らかに逝きました。
子供達全員が見守る中でした。
夜の9時を回っていました。
涙は止まりませんが、心が残らない十分なお別れだったと思います。
美しい、美しいチビの毛並み、その小さな体をいつまでも皆で撫で続けました。
「お母さん、この猫飼っていい〜〜?!」子供達に抱きかかえられ我が家にやって来たチビ、
その時と同じ様に、子供達に大事に抱かれながら旅立ちました。
その後、家族ラインのアルバムに集められたチビの膨大な写真は、子供達のチビに対する眼差しそのもので、
改めて、チビの存在がどれだけ子供達の心を和ませ、癒し、楽しませていたのかに気づきます。
私自身は忙しくて、4人の子供達それぞれに、十分な心をかけてやれなかったのですが、私一人では埋められない豊かな愛情の交流、目には見えない大事な部分をチビは相当担ってくれていたのだと、確信します。
13年間、私と一緒に4人の子供達に寄り添い、情愛いっぱいに育んでくれた最高の子育てパートナー、チビ。
チビの果たしてくれた役割はとても大きい。
最後まで、命をかけて見せてくれた強くて崇高な姿を忘れる事はありません。
子供達の胸に深く刻まれた命のあり様は、これからも4人の人生を温かく導くはずです。
暖炉の前、窓際、階段、ソファー、デッキの日向、、
そして私たちの膝の上、、
家のあちこちにチビの存在を感じます。
猫という生き物の素晴らしさを教えてくれた唯一無二のチビ。
世の中に人生の手本とする存在は沢山あるでしょうが、
私にとって、猫は師匠。
「野生の子育て」が自分の子育てのモットーでしたが、
一人で何匹も産んで育てる猫のお母さんを心底尊敬しました。
その死に際もまた見事でした。
奇しくも、末っ子の大学受験が終わって、いよいよ子育ても終わりという時に、まるで役割を終えたかの様に逝ったチビ。
「子供達はちゃんと育ったから、もう逝くね」と言わんばかり。
チビの死は、私の子育て時代の終焉、ここで一区切りとのメッセージではなかろうかと感じています。
チビと過ごした13年は、かけがえのない4人の子育ての、2度と戻らない黄金の日々でもありました。
次に猫を飼うことがあったとしても、そこに幼い子供達はもう居ません。
時は流れて、命も流れ続けて、同じ所に止まる事はない、、
チビちゃん、新しい歩みが我が家で始まるという事だね。
チビちゃん、うちに来てくれて本当に本当にありがとう。
楽しかったね。
虹の橋の向こうで、私達を待っていてね。
チビが膝に乗って来る人の基準はまるで分かりませんが、
チビを膝に抱いてくれた皆さん、、
朝、ざらついた舌で顔を舐められ起こされた皆さん、
チビとの心優しい交流を誠に有難うございました。
追伸:チビ、あと一年子育て延長になったら、ちょっとチビははやまったよ!末っ子のメンタルサポート、まだ残ってるー!!

岩田尚子

この記事を書いたのは:岩田尚子

関連するコラム Columns

コラム一覧はこちら

各種お申し込みはこちらから