お金に関する30の嘘 全ては源(ソース)であるわたしから生まれてくる
By 岩田洋治
-
エンパワーメント

私たちが疑うことなく信じていること──しかし、もしそれが嘘だと分かったら?
ピーター・カーニックの著書「マネーバイアス」では、ページを繰るごとに、お金に関する30の嘘が次々と明らかにされる。が、各章のタイトルを読むたびに、「いやいや、これは嘘ではないやろ」と思わず一人ツッコミを入れたくなる。
例えば4番目の嘘『幸せになるには、最低限のお金が必要だ』や、29番目の嘘『お金は重要ではないが、あると人生を楽にしてくれる』のように。果たしてこれが嘘なのだろうか。
本の中で紹介される30のお金の嘘を読み進めていくと、私たちは最初狐につままれたような気分になり、やがて少し疑いの心を持ちながら読むようになり、それでも最後は深い了解へと誘われる。
本の帯には『お金の真実を知れば、あなたは湧き出る熱量を取り戻せる』とあるが、実はこの本が明らかにするのは「お金とは何であるか」以上に、「あなたとは何であるか」なのだ。この本は読むエンパワーメントだと思った。
私が特に惹かれた嘘は、17番目の『プロジェクトを始めるにはビジネスプランと予算と元手のお金が必要だ』だった。
よく、「先立つものがなければ…」と言うが、それはまさに元手となるお金のことを指している。お金のことを考えずにやりたいことを語っていると、地に足がついていないと揶揄されたり、現実を見よ、夢では食べていけないなどと諭されることがある。
しかし、実際に成功した起業家や実業家は、誰よりも先立つものの心配が上手かった人ではない。むしろその逆だ。
これはピーター・カーニック自身が、コンサルタントとして多くの起業家や実業家たちと向き合ってきた経験から発見したことだ。
何か”こと”を起こす人は、
- 湧き出る熱量に身を任せている
- プロジェクトのビジョンの実現に集中している
- 0から1を作り出す
- リソースの有無は気にしない
- 誰かの助けや許可・同意はあってもなくてもよい
と、本書にその特徴が書かれている。
これを読みながらふと思い出したのは、古事記に描かれているイザナギとイザナミの結婚だった。イザナギとイザナミがどうマネーバイアスと関係するのかと意外に思うかもしれない。しかし、ふと思い出すことは、大概意外なことだ。

イザナギとイザナミ
この貴き二柱の神々は、これから始まる大いなるプロジェクトを目の前にしていた。そのプロジェクトとは、一つが結婚、そしてもう一つが国生みだった。
結婚? そう、結婚も大いなるプロジェクトだ。そうとは知らずにスタートして、結構痛い目に遭う人も多い。赤の他人が関係を作り上げていくには、相当のエネルギーと時間が必要になる。うまくいくかどうかは分からないにしても、覚悟は問われる。本当にそう願っているのかと。
二つの大いなるプロジェクトに取り掛かるその時、幸いなことに、イザナギもイザナミも「ビジネスプランと予算と元手のお金の心配」にはとらわれていなかった。神々はただ、湧き上がる熱量によって動かされていた。
結婚の儀の際に、互いに向けて語る短い言葉がある。「あなにやし」だ。この言葉は「あなに」と「やし」に分けられる。「あなに」とは言葉にならない驚きや感動、畏怖の念を表している。そして「やし」とは、そこから生まれてくる気合い、力、エネルギーを表す。
「あなにやしえをとめを」女よあなたは何と素晴らしいのか!
「あなにやしえをとこを」男よあなたは何と素晴らしいのか!
全ては名状しがたい感動から生まれると古事記は記す。結婚を経て、イザナギとイザナミは次々と国を生み出すが、そのすべてがこのあなにやしという言霊から始まっている。
私たちがエネルギーを生み出すには、大きく分けて二つの方法がある。一つがあなにやしで、それは内なる生命力につながることから生まれる。もう一つが、目の前に目標というニンジンをぶら下げ、恐れという鞭でお尻を叩くやり方だ。このように書くとあまり魅力的には感じられないが、随分と長い間、私たちはこの恐れと渇望のエンジンで動いてきたし、周りをも動かしてきた。何をどれだけ得たところで、恐れも渇望も尽きることがないので、それがこのエンジンを永らえさせてきた。しかし、いよいよそれが終わろうとしている。だんだんと疲弊していることに、ようやく気づき始めたからだ。
実は、私たちが迎えつつある変化の本質は意識の目覚めだ。エゴを自分だと誤認していた状態(バイアス)に気づき、イキイキとした生命感覚に目覚めること。何かを求め外に投影していたものが自分の中にあると気づくこと。それこそが自分であると知ること。
先立つものは私たちの内側にある。
また、全ては源(ソース)であるわたしから生まれてくる。
本当にそうなのだろうか?
それを実際に経験する舞台が、この人生なのだと思う。
心の内奥から聴こえてくる声に耳を澄まし、勇気ある一歩を踏み出してみよう。