行動科学研究所 所長
岩田 静治 Ph.D.(いわた せいじ)
1964年の夏。東京で開催されたオリンピックは、日本の高度経済成長物語の開幕ベルでした。有事の時には、アメリカは日本を守って下さいよ、との確約を取りに、佐藤首相(当時)がジョンソン米国大統領(当時)に会いに行きました。経済面で欧米に追いつけ、追い越せ、で全力疾走の日本でした。その時、私は星(青)雲の志を抱き、アメリカ政府国務省で勤務していました。見るもの、聞くもの、触れるもの、全て驚きばかり。不思議の国のアリスでした。
国務省の仕事現場は、カナダ、メキシコを含む北アメリカを、日本からきた専門家とともに研究テーマをもち、同時通訳者として縦横に飛びまわることでした。当時のアメリカは楽天的ムード溢れる、明るくて豊かな国でした。
その獅子奮迅の最中、抗しきれない疑問が立ち上がってきたのです。自分のアイデンティティーが分からなくなってきました。
日本人であるこの私は一体誰なのか?どこから来て、どこへ行くのか?楽園タヒチ島で悩み苦しんだポール・ゴーギャンの心境です。
当時は1ドル360円でした。愛車フォードムスタングも断腸の思いで手放し、妻の順子と長男洋治、そしてニューヨークで誕生した長女マリを連れて、私はドル高のアメリカから、円安の日本へ帰ろう、と決意しました。日本で無性に学び直したかったからです。兎の穴にまっ逆さでした。
当時の日本は安保の是非をめぐって、大学紛争が日常化している日々でした。東大、京大、ハーバード大卒の三教授が同志社大学の新聞学科大学院で教鞭をとられていました。私は鶴見俊輔先生を担当教授として、同志社の大学院に在籍を許されました。そこもまたアリスの新しい兎の穴でした。全てが驚きと感動にあふれた学びと学び外しの場でした。
京都の宝が池国際会議場で、同時通訳者の養成コースを始めました。ダーライラマ法王、三島由紀夫さん、アーノルド・トインビー博士、アービン・トフラーさんなど、多くの著名人を同時通訳する過程で、クタクタに疲れる人と、元気をいっぱいいただく人がいることに気づいていました。でも、それはなぜなのか、分かりませんでした。
御縁が御縁の共時的連鎖を産み、京都ノートルダム女子大、京都産業大学の経営学部教授として、私は大学教授のキャリアに入りました。当時、「20世紀の意味」という名著を書かれた、コロラド大学のケネス・E・ボールディング教授に奇跡のような御縁をいただき、1976年の春期、私はボールディング教授が主宰されていたコロラド大学の行動科学研究所に、客員教授として迎えられました。この頃「3ベクトル理論」が萌芽し始めていました。
私は思い切って二つのチームを組みました。妻と当時よちよち歩きの次女夕紀は私と一緒にコロラドに行く。洋治とマリは日本にいて勉強を続けるプロジェクトでした。家族にとっては、また新しい兎の穴にまっ逆さの、ビクビク、ワクワクの毎日でした。厳寒のボールダーで凍えながらも、私の魂は熱く燃え盛っていました。安定と安全の内海的大学環境からこわごわ抜け出し、ダイナミックで危険に満ちた外海の教育現場の魅力にビクビク、ドキドキ心躍りました。
1984年、日本での大学キャリアを切り上げ、大津の比叡平で立ちあげていた行動科学研究所を主たる生活現場と定めました。同時に、アメリカのいろんな大学・教育機関で教鞭をとり、そこで給料をいただき税金を払い、学生の採点をしはじめました。これをやりたかったのです!コネティカット州立大学、テキサス・ベイラー大学から始まり、大学のはしごを始めました。同時にホンダ技研や富士ゼロックスなど、企業の経営者・スタッフの教育活動も開始しました。人間の行動を科学する、3ベクトル理論の応用展開と、心理学とエネルギー学のハイブリッドの始まりです。またまた新しい兎の穴へまっ逆さの感じでした。1ドルは180円になっていました。
その頃、私には更なる根源的な疑問が立ち上がってきていました。教育とは何か。人は人に何が教えられるのか。自分を、世界を、環境を変える主体とは何か。この設問にこれだ、という答えを未だ見い出せないまま、私は自分の内奥に注意を向け、微かだが確かに存在するビジョンを見ようと全身全霊を集中しました。同時に、その道で探究されている師匠の教えを乞い願い、東奔西走の旅に出ました。
人はひとりだ!人は一人である以上に、ひとりなのだ!それは次なる兎の穴世界でした。ひとりひとりの意識が変容することでのみ世界が変わる、との認知風景の立ち上がりです。いろんな心象風景が去来し始めました。
ひょっとして、人の生活習慣の底に記憶習慣があるのではないか。それは人類が太古38億年にわたり経験してきたあらゆる記憶の集積であり、それが影と光という記号(アーキタイプ)となって、私達ひとりひとりの思考・感情・行動を仕切っているのではないか。それを読み解くことで、人は自分のエッセンスに近づけるのでは!これは極めて個人的な深みの認識であると同時に、人類につながる普遍的なツールでもあり得るのではないか、とのひらめきでした。いや、むしろ、今まで忘れていたものをやっと思い出した、という方が正確でしょうか。私はこれをPEPと名づけました。40数年の紆余曲折の果てにどうやら辿り着いたところです。
今では、1ドル95円前後の円高・ドル安の新しい兎の穴環境で、追いつけ・追い越せの狂騒曲も終わりました。ひとりひとりの美しい「いのち」の感覚を生老病死のパラメーター枠で再設計し、間断なく立ち上がる「もの」と「こと」の日常群生に、未だ藁をもつかむ想いであなにやしをかける、今、ここの私です。
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